平成29年度静岡産業大学卒業式 記念スピーチ
3月14日(水)に行なわれた平成29年度卒業式において、国際情報学部(現在の情報学部)卒業生の薩川悠輔さん(株式会社薩川組 代表取締役専務 最終学歴:横浜国立大学 国際社会科学研究科 修了)に記念スピーチをしていただきました。卒業生の
門出を祝う素晴らしいスピーチでしたので、原稿を掲載させていただきます。
卒業生の皆さま、ご卒業おめでとうございます。
また、この晴れの日を心待ちにしてこられたご両親をはじめ、御家族の皆様方、教職員の皆様方に心からお祝いを申しあげます。
今日の卒業式に同席できることが出来、卒業生として、スピーチをさせていただく機会をいただき、まことに光栄です。
私は、平成19年に、静岡産業大学を卒業しました。藤枝キャンパスにあった、当時の学部は、国際情報学部といいました。
現在は、静岡市にある、建設会社の「経営」にたずさわっています。
私の「経営」する会社は、創業が大正2年となります。平成25年には100周年を迎えることができました。
創業したのは、私の曽祖父になります。私の代は数えて4代目となります。
事業内容は、公共土木工事や鉄道工事、建築工事を、静岡県内を中心に行っています。
つい最近までは建設不況といわれ、建設業界にとっては厳しい時代でしたが、現在は、東京オリンピックや社会全体が、人材不足ということもあり、建設業界は上向きになりつつあります。
今年に入ってからの、日本経済新聞の産業天気図は、私が初めて見る、晴れマークになっていました。
そのような業界環境のなか、弊社は、地域に根付いた長年の信頼と、特異分野を持つことにより、順調に業績を、上げ続けていくことができました。
私自身は、代表取締役を務めて5年目となりますが、弊社の先輩方が残していただいた社会からの信頼を傷つけないように、身を引き締める思いで、こんにちに至りました。
本日は、卒業生として、私から皆さまに、何が伝えられるかを考えてきました。
私が静岡産業大学に入学したのは23歳の時でした。人より遅く入学した、私が何を大学で勉強したのかを、今日はお話したいと思います。
高校卒業後すぐは、浪人生として受験勉強をしていたわけでもなく、高校卒業後の1,2年は、サーフィンに夢中で、他にもアルバイトや、日々やりたいことをするだけの毎日で、いわゆるフリーターのようなものでした。
それでも毎日を楽しく過ごしていましたが、親が「経営」する会社で、いつの頃からか、お仕事の手伝いをするようになりました。
当時の私は、土木や建築の勉強をしてきていないので、わからないことばかりでしたが、社内のいろいろな方が教えてくれて、技術的な勉強は、仕事をしていく上で学んでくことが出来ました。
しかし、技術的なことだけではなく、もともと親が「経営」している会社ということもあり、会社を「経営」するということは、どういうことだろうかとの思いはありました。
会社の先輩方だけではなく、取引先の方や、様々な人たちと接していくなかで、長年、続く会社を、経営者として、率いていくことを、意識していくようになりました。そのうちに、技術的な勉強だけでは、経営者として、足りないのではないかと、疑問をもちはじめました。
仕事をしていくなかで、20歳そこそこで、経験も無く、技術を裏付けるような勉強をしなかった私は、思うようにいかないことがたくさんあり、様々な壁にぶつかり、もっと勉強をしたいと感じました。特に、「経営」とは、なにかという疑問が日に日に膨らんでいきました。
ほかにも、私たちは、なぜ働くのか、人々にとって仕事をする、ということはどのような意味を持つのかといった、さまざまな疑問が、あふれてきました。
そのような思いのなか、私は、幸いなことに恵まれた環境のおかげで、働きながら、静岡産業大学に入学することができました。
もともと「経営」を、勉強しようと入学したので、経営学や情報に関する、大学での講義などは、とても楽しかったです。
しかし、それ以上に重要だったのが、先生方との出会いでした、勉強は大学に行かなくてもできますが、先生との出会いは、大学に行かなければありませんでした。
私が在学中の時の、学長であった大坪先生は、経営学の専門家で、自身の経営者としての経験からの、お話も沢山してくださいました。
大坪先生は、学長の学を、楽しい「楽」と書いて、楽長と呼んでいました。学ぶことは楽しい、ということを、大坪先生ははっきりと、教えてくださいました。
思えば、中学生のころは、まだ学校の勉強をしていましたが、高校にあがると、友人との遊びのほうが楽しくなり、あまり学校の勉強をしなくなりました。
暗記をすることが、勉強だと思っていた、私は、そのような勉強をじっくり出来ない、我慢強くない子供でした。
それでも、自分が興味のあることや、必要と思うことを勉強することは楽しかったです。
大学生活では、ゼミの先生との出会いが、特に重要でした。周りの学生と、つるんだりすることもなく、ゼミの中でも特別に浮いていた私でしたが、ゼミの講義で一番前の席に座り、聞いていることもあってか、先生の目にとまり、「大学院に行かないか」と、声を掛けていただきました。
もともと「経営」の勉強をしたくて、経営学全般のことを、学んでいくなかで、もっと専門的な勉強をしたい、との気持ちはあり、大学院進学のことも、考えていましたが、その時は年齢のこともあり、さらに進学することに関しては、躊躇していました。
しかし、その一言で、せっかくなので、一流と呼ばれる大学院への、進学をチャレンジしてみようと決めました。
今思えば、留学生の方や、海外に目を向けると、20代後半で大学や大学院にいく人など沢山います。その時は、自分に自信もなく、視野が狭かったものだと、思います。
大学院を目指すことが決まると、毎週午後の時間いっぱいを使って、先生との、一対一での勉強会が始まりました。
社会経験のあった私は、先生には、いつも意地悪な質問をしていました。
経営学が専門だった先生が示すモデルに対して、どうしても、現実には当てはまらない、という考えがあったからです。
しかし、そのような意地悪な質問をしても、先生は、誠実に答えてくれました。
現実はこうではないか、と私が言うと、先生は、複雑な現実を抽象化し、モデル化したものが理論なので、その理論の、有効性と限界を知ることが、学ぶための姿勢であるということを教えてもらいました。
そして、他にも、このような考え方がある、違う見方ができると、一つの概念に対して複数の理論や考え方があると言って、様々な本や論文を紹介していただき、本を貸してくれました。
その本を貪るように読み、次の週にも、それだけでは現実には通用しない、と私は言いたい放題でしたが、それを全て受け止めてくれ、ある時には二人で、議論に熱中して、ずいぶんと夜遅くになることもありました。
そのころには、勉強会に行くというよりも、研究会に参加するという気持ちでした。大学の先生と一対一で行う、とてもぜいたくな研究会でした。
大学3年生の時から、2年にわたり、そのような研究会を続け、横浜国立大学の大学院進学が決まりました。ほんの数年前には、考えもしなかったことでした。
この時のエピソードは、その後、静岡産業大学で、オバケスイッチのモデルとして、使用していただきました。
学長だった大坪先生は、様々な本や媒体で、オバケスイッチのモデルとして、私のエピソードを紹介してくれました。
私が大学を卒業したあとも、大坪先生の本を読んだ時や、静岡産業大学のオバケスイッチが、載ったサインボードを見かけた時は、ゼミの先生との研究会で、言いたい放題に言っていた当時の記憶を、恥ずかしく思い出しました。
オバケスイッチのモデルとして使っていただくことが決まった時、当時もひねくれていた私は、もともと出来が悪かったから、大化けしたと言われるのですよ、と言っていましたが、今になれば、オバケスイッチという新しい概念を、大学が作るお手伝いをすることが、出来たということが、私にとっての、一番の成果だったと、思います。
新しい概念を作るということは、企業経営において、もっとも重要なことの一つです。最近よく聞く言葉だと思いますが、イノベーションです。
イノベーションを技術革新と、訳されることもありますが、イノベーションとは、新しい概念を作ることです。
企業経営をする上で新しいものやサービスを産み出すこと、今まで取り組んだことのない新しいことに取り組む、元々あることから新しい価値を生みだすことです。
建設業界も随分と変わってきていますが、業界特有のことだけでなく、一般的な仕事の仕方や、仕事上のコミュニケーションも随分と新しくなっています。
私が仕事を始めたころは、スマホなんか当然ありませんし、パソコンは当然ローカルで使うことがほとんどで、インターネットに繋ぐときには、電話線で接続していました。
会社の先輩方に、もっと昔の仕事の仕方を聞くと、昼間外で働く人たちは、携帯電話もありませんでしたので、夕方に会社に戻り、誰から電話があったのかを確認して、かけ直すということが、日課だったと言います。
午後一番にあった連絡は、実際に話すのが夕方になれば、およそ半日は、コミュニケーションのタイミングがずれるということです。現代では考えられません。
今では、電話はもちろんですが、スマホや、クラウドサービスを使い、写真や、会社資料なども、タッチパッドなどを使用して、どこにいてもその時に見ることや、共有することができます。
新しいことをするということは、新しいサービスや物を生むだけではなく、人々のコミュニケーションの仕方や、働き方も、新しいスタイルに、変わっていくということです。
これからもっと多様な働き方、さまざまな組織や、社会との関わり方になっていきます。皆さまはプライベートで、スマホなどを大活用していると思います。これからも、新しい技術や仕組みを、積極的に、取り入れた働き方をして、新しいものを生み出していきましょう。
会社組織を取り巻く環境も、常に変化しています。時代とともに無くなった業種や、業態はたくさんあります。その環境の変化に会社組織は対応しなければいけません。
私の「経営」する会社が創業した100年前と今では、あらゆることが違います。100年前といわず、わたしが仕事を始めた頃と比べても全く違います。
会社経営とは、新しいサービスや概念を生み出すことと、環境の変化に組織が適応することなのです。今日ここにいる皆様も、就職が決まって入社する人や、さまざまな社会生活をする方がいると思いますが、その所属する会社の環境が、これから先も、全く同じなはずはありません。
少し昔のことを振り返ってみれば、そのことはあきらかです。絶対に無くならないような大企業が無くなったり、勢いのあった業界が取り巻く環境も、厳しくなったりしています。合併や、事業分離などにより会社の形や、名前も次々に変わっています。
業種や業態でいえば、ガソリン自動車から、ハイブリッド車、電気自動車への流れ、紙の新聞や雑誌が減っての電子化、小売店舗が、どんどんネットサービスに変わってきています。仮想通貨などの広がりによる、新しい業種も誕生しています。
何十年も先の未来は、どうなるかわかりませんが、環境の変化に対して、不安に思うことも必要ないと思います。一年後のことや、まして、数十年も先のことは誰もわかりませんし、遠い未来のことに対して、不安になってもしょうがないです。
自分の関係する周りの環境変化に、おそれるよりも、今興味のあることや、気になることに対して全力で行動することが、大切だと思います。
私も静岡産業大学に入学した時は、今こうして、卒業式でスピーチをしている、今の私を想像することはできませんでした。
社会生活をしていると、昔から行っていることを何も考えずに、正しいこととして、繰り返すことが多いです。昔の人はおかしいことをしていたな、ということは沢山あります。
卒業生の皆さんは、若くてフレキシブルな発想が、たくさんできると思います。これから生きていく上で、昔からやっていることだからではなく、本当に大切なのか、環境の変化に対応できているのかと、疑問をもって、自分が正しいと思うことに向かって行動してもらいたいです。
私が、勉強をしてきたことは、「経営」とは何かを知ることです。経営者は、なぜ組織を「経営」するかというと、組織の維持発展のためです。そのために、組織の環境適応と、イノベーションを、経営者は行います。そのために必要なのは、フレキシブルな発想です。
現代では、大企業においても、サラリーマン経営者の時代でありますし、誰でも会社を、起業する事ができる時代です。組織の関わり方も、変わっていくこれから、卒業生のみなさまはフレキシブルな発想を忘れないで、行動にうつし、組織を動かして、社会をより良くすることができれば、自分のためになると思います。
私も、新しいことにチャレンジすることを忘れず、正しい「企業観」を持った、経営者となっていきたいと思います。
最後になりますが、私は卒業して10年以上経ちますが、静岡産業大学に行って、「良かった」と思っています
なにか問題にぶつかったときや、新しいことにチャレンジをするときに必要な、自分への「自信」を、行って「良かった」と思う大学が、与えてくれました。
これからの時代は、何を勉強したから、何をやったから、だけでは乗り越えられない、さまざまなことがあります。
今日、卒業する皆様は、静岡産業大学を卒業して得ることができた、「自信」を持っているので、きっと乗り越えて生きていくことができると思います。がんばってください。
最後までお聞きくださいまして、ありがとうございました。
門出を祝う素晴らしいスピーチでしたので、原稿を掲載させていただきます。
卒業生の皆さま、ご卒業おめでとうございます。
また、この晴れの日を心待ちにしてこられたご両親をはじめ、御家族の皆様方、教職員の皆様方に心からお祝いを申しあげます。
今日の卒業式に同席できることが出来、卒業生として、スピーチをさせていただく機会をいただき、まことに光栄です。
私は、平成19年に、静岡産業大学を卒業しました。藤枝キャンパスにあった、当時の学部は、国際情報学部といいました。
現在は、静岡市にある、建設会社の「経営」にたずさわっています。
私の「経営」する会社は、創業が大正2年となります。平成25年には100周年を迎えることができました。
創業したのは、私の曽祖父になります。私の代は数えて4代目となります。
事業内容は、公共土木工事や鉄道工事、建築工事を、静岡県内を中心に行っています。
つい最近までは建設不況といわれ、建設業界にとっては厳しい時代でしたが、現在は、東京オリンピックや社会全体が、人材不足ということもあり、建設業界は上向きになりつつあります。
今年に入ってからの、日本経済新聞の産業天気図は、私が初めて見る、晴れマークになっていました。
そのような業界環境のなか、弊社は、地域に根付いた長年の信頼と、特異分野を持つことにより、順調に業績を、上げ続けていくことができました。
私自身は、代表取締役を務めて5年目となりますが、弊社の先輩方が残していただいた社会からの信頼を傷つけないように、身を引き締める思いで、こんにちに至りました。
本日は、卒業生として、私から皆さまに、何が伝えられるかを考えてきました。
私が静岡産業大学に入学したのは23歳の時でした。人より遅く入学した、私が何を大学で勉強したのかを、今日はお話したいと思います。
高校卒業後すぐは、浪人生として受験勉強をしていたわけでもなく、高校卒業後の1,2年は、サーフィンに夢中で、他にもアルバイトや、日々やりたいことをするだけの毎日で、いわゆるフリーターのようなものでした。
それでも毎日を楽しく過ごしていましたが、親が「経営」する会社で、いつの頃からか、お仕事の手伝いをするようになりました。
当時の私は、土木や建築の勉強をしてきていないので、わからないことばかりでしたが、社内のいろいろな方が教えてくれて、技術的な勉強は、仕事をしていく上で学んでくことが出来ました。
しかし、技術的なことだけではなく、もともと親が「経営」している会社ということもあり、会社を「経営」するということは、どういうことだろうかとの思いはありました。
会社の先輩方だけではなく、取引先の方や、様々な人たちと接していくなかで、長年、続く会社を、経営者として、率いていくことを、意識していくようになりました。そのうちに、技術的な勉強だけでは、経営者として、足りないのではないかと、疑問をもちはじめました。
仕事をしていくなかで、20歳そこそこで、経験も無く、技術を裏付けるような勉強をしなかった私は、思うようにいかないことがたくさんあり、様々な壁にぶつかり、もっと勉強をしたいと感じました。特に、「経営」とは、なにかという疑問が日に日に膨らんでいきました。
ほかにも、私たちは、なぜ働くのか、人々にとって仕事をする、ということはどのような意味を持つのかといった、さまざまな疑問が、あふれてきました。
そのような思いのなか、私は、幸いなことに恵まれた環境のおかげで、働きながら、静岡産業大学に入学することができました。
もともと「経営」を、勉強しようと入学したので、経営学や情報に関する、大学での講義などは、とても楽しかったです。
しかし、それ以上に重要だったのが、先生方との出会いでした、勉強は大学に行かなくてもできますが、先生との出会いは、大学に行かなければありませんでした。
私が在学中の時の、学長であった大坪先生は、経営学の専門家で、自身の経営者としての経験からの、お話も沢山してくださいました。
大坪先生は、学長の学を、楽しい「楽」と書いて、楽長と呼んでいました。学ぶことは楽しい、ということを、大坪先生ははっきりと、教えてくださいました。
思えば、中学生のころは、まだ学校の勉強をしていましたが、高校にあがると、友人との遊びのほうが楽しくなり、あまり学校の勉強をしなくなりました。
暗記をすることが、勉強だと思っていた、私は、そのような勉強をじっくり出来ない、我慢強くない子供でした。
それでも、自分が興味のあることや、必要と思うことを勉強することは楽しかったです。
大学生活では、ゼミの先生との出会いが、特に重要でした。周りの学生と、つるんだりすることもなく、ゼミの中でも特別に浮いていた私でしたが、ゼミの講義で一番前の席に座り、聞いていることもあってか、先生の目にとまり、「大学院に行かないか」と、声を掛けていただきました。
もともと「経営」の勉強をしたくて、経営学全般のことを、学んでいくなかで、もっと専門的な勉強をしたい、との気持ちはあり、大学院進学のことも、考えていましたが、その時は年齢のこともあり、さらに進学することに関しては、躊躇していました。
しかし、その一言で、せっかくなので、一流と呼ばれる大学院への、進学をチャレンジしてみようと決めました。
今思えば、留学生の方や、海外に目を向けると、20代後半で大学や大学院にいく人など沢山います。その時は、自分に自信もなく、視野が狭かったものだと、思います。
大学院を目指すことが決まると、毎週午後の時間いっぱいを使って、先生との、一対一での勉強会が始まりました。
社会経験のあった私は、先生には、いつも意地悪な質問をしていました。
経営学が専門だった先生が示すモデルに対して、どうしても、現実には当てはまらない、という考えがあったからです。
しかし、そのような意地悪な質問をしても、先生は、誠実に答えてくれました。
現実はこうではないか、と私が言うと、先生は、複雑な現実を抽象化し、モデル化したものが理論なので、その理論の、有効性と限界を知ることが、学ぶための姿勢であるということを教えてもらいました。
そして、他にも、このような考え方がある、違う見方ができると、一つの概念に対して複数の理論や考え方があると言って、様々な本や論文を紹介していただき、本を貸してくれました。
その本を貪るように読み、次の週にも、それだけでは現実には通用しない、と私は言いたい放題でしたが、それを全て受け止めてくれ、ある時には二人で、議論に熱中して、ずいぶんと夜遅くになることもありました。
そのころには、勉強会に行くというよりも、研究会に参加するという気持ちでした。大学の先生と一対一で行う、とてもぜいたくな研究会でした。
大学3年生の時から、2年にわたり、そのような研究会を続け、横浜国立大学の大学院進学が決まりました。ほんの数年前には、考えもしなかったことでした。
この時のエピソードは、その後、静岡産業大学で、オバケスイッチのモデルとして、使用していただきました。
学長だった大坪先生は、様々な本や媒体で、オバケスイッチのモデルとして、私のエピソードを紹介してくれました。
私が大学を卒業したあとも、大坪先生の本を読んだ時や、静岡産業大学のオバケスイッチが、載ったサインボードを見かけた時は、ゼミの先生との研究会で、言いたい放題に言っていた当時の記憶を、恥ずかしく思い出しました。
オバケスイッチのモデルとして使っていただくことが決まった時、当時もひねくれていた私は、もともと出来が悪かったから、大化けしたと言われるのですよ、と言っていましたが、今になれば、オバケスイッチという新しい概念を、大学が作るお手伝いをすることが、出来たということが、私にとっての、一番の成果だったと、思います。
新しい概念を作るということは、企業経営において、もっとも重要なことの一つです。最近よく聞く言葉だと思いますが、イノベーションです。
イノベーションを技術革新と、訳されることもありますが、イノベーションとは、新しい概念を作ることです。
企業経営をする上で新しいものやサービスを産み出すこと、今まで取り組んだことのない新しいことに取り組む、元々あることから新しい価値を生みだすことです。
建設業界も随分と変わってきていますが、業界特有のことだけでなく、一般的な仕事の仕方や、仕事上のコミュニケーションも随分と新しくなっています。
私が仕事を始めたころは、スマホなんか当然ありませんし、パソコンは当然ローカルで使うことがほとんどで、インターネットに繋ぐときには、電話線で接続していました。
会社の先輩方に、もっと昔の仕事の仕方を聞くと、昼間外で働く人たちは、携帯電話もありませんでしたので、夕方に会社に戻り、誰から電話があったのかを確認して、かけ直すということが、日課だったと言います。
午後一番にあった連絡は、実際に話すのが夕方になれば、およそ半日は、コミュニケーションのタイミングがずれるということです。現代では考えられません。
今では、電話はもちろんですが、スマホや、クラウドサービスを使い、写真や、会社資料なども、タッチパッドなどを使用して、どこにいてもその時に見ることや、共有することができます。
新しいことをするということは、新しいサービスや物を生むだけではなく、人々のコミュニケーションの仕方や、働き方も、新しいスタイルに、変わっていくということです。
これからもっと多様な働き方、さまざまな組織や、社会との関わり方になっていきます。皆さまはプライベートで、スマホなどを大活用していると思います。これからも、新しい技術や仕組みを、積極的に、取り入れた働き方をして、新しいものを生み出していきましょう。
会社組織を取り巻く環境も、常に変化しています。時代とともに無くなった業種や、業態はたくさんあります。その環境の変化に会社組織は対応しなければいけません。
私の「経営」する会社が創業した100年前と今では、あらゆることが違います。100年前といわず、わたしが仕事を始めた頃と比べても全く違います。
会社経営とは、新しいサービスや概念を生み出すことと、環境の変化に組織が適応することなのです。今日ここにいる皆様も、就職が決まって入社する人や、さまざまな社会生活をする方がいると思いますが、その所属する会社の環境が、これから先も、全く同じなはずはありません。
少し昔のことを振り返ってみれば、そのことはあきらかです。絶対に無くならないような大企業が無くなったり、勢いのあった業界が取り巻く環境も、厳しくなったりしています。合併や、事業分離などにより会社の形や、名前も次々に変わっています。
業種や業態でいえば、ガソリン自動車から、ハイブリッド車、電気自動車への流れ、紙の新聞や雑誌が減っての電子化、小売店舗が、どんどんネットサービスに変わってきています。仮想通貨などの広がりによる、新しい業種も誕生しています。
何十年も先の未来は、どうなるかわかりませんが、環境の変化に対して、不安に思うことも必要ないと思います。一年後のことや、まして、数十年も先のことは誰もわかりませんし、遠い未来のことに対して、不安になってもしょうがないです。
自分の関係する周りの環境変化に、おそれるよりも、今興味のあることや、気になることに対して全力で行動することが、大切だと思います。
私も静岡産業大学に入学した時は、今こうして、卒業式でスピーチをしている、今の私を想像することはできませんでした。
社会生活をしていると、昔から行っていることを何も考えずに、正しいこととして、繰り返すことが多いです。昔の人はおかしいことをしていたな、ということは沢山あります。
卒業生の皆さんは、若くてフレキシブルな発想が、たくさんできると思います。これから生きていく上で、昔からやっていることだからではなく、本当に大切なのか、環境の変化に対応できているのかと、疑問をもって、自分が正しいと思うことに向かって行動してもらいたいです。
私が、勉強をしてきたことは、「経営」とは何かを知ることです。経営者は、なぜ組織を「経営」するかというと、組織の維持発展のためです。そのために、組織の環境適応と、イノベーションを、経営者は行います。そのために必要なのは、フレキシブルな発想です。
現代では、大企業においても、サラリーマン経営者の時代でありますし、誰でも会社を、起業する事ができる時代です。組織の関わり方も、変わっていくこれから、卒業生のみなさまはフレキシブルな発想を忘れないで、行動にうつし、組織を動かして、社会をより良くすることができれば、自分のためになると思います。
私も、新しいことにチャレンジすることを忘れず、正しい「企業観」を持った、経営者となっていきたいと思います。
最後になりますが、私は卒業して10年以上経ちますが、静岡産業大学に行って、「良かった」と思っています
なにか問題にぶつかったときや、新しいことにチャレンジをするときに必要な、自分への「自信」を、行って「良かった」と思う大学が、与えてくれました。
これからの時代は、何を勉強したから、何をやったから、だけでは乗り越えられない、さまざまなことがあります。
今日、卒業する皆様は、静岡産業大学を卒業して得ることができた、「自信」を持っているので、きっと乗り越えて生きていくことができると思います。がんばってください。
最後までお聞きくださいまして、ありがとうございました。