平成29年度卒業式 学長式辞
本日ここに、関係各位のご臨席のもと、平成29年度静岡産業大学卒業式が盛大に挙行されますことは、私の大きな喜びであります。
ただいま350名の方々に学位記を授与いたしました。卒業生の皆さん、おめでとうございます。卒業生の中には9名の留学生が含まれています。遠い母国を離れ、日本語と格闘しながら立派に研鑽を積まれたことに敬意を表したいと思います。
そして本日はここに、今日までの長い間にわたって皆さんの勉学を支えてこられ、この日を心より待ちわびておられたご家族・保護者の方々にも多数ご列席いただいております。その皆さま方のお喜びもいかばかりかとお察しし、祝意を申し上げる次第です。おめでとうございます。
また、共に勉強した学友や、共に活動したクラブの友人、授業やゼミで厳しくまた温かく指導してくださった先生方、学生生活の多様な場面で支えていただいた事務職員の方々、そうした多くの人たちとの絆の上に大学生活があったことを思い出し、今日の日を、そのような多くの人々に支えられて迎えることができたことに感謝し、本日の卒業の喜びをどうぞ分かち合ってください。
もちろん、124単位以上を取得し、ゼミでも頑張った、クラブでも頑張った、資格をとった、アルバイトも頑張った、ボランティアも頑張った、そんなに全部頑張れた人はいないでしょうが、いずれにしても頑張ることができた皆さん自身に感謝すること、褒めてあげることも忘れないでください。
さて、こうしてスーツや晴れ着を着た卒業生の明るい顔を見ますと、入学式や最初の授業の時のおどおどした新入生の顔から、ずいぶん落ち着いた大人の顔になってきたな、とつくづく思います。
時間というものには2つの概念があります。これは昨年のある大学の学長式辞の受け売りなのですが、私がぴったり腑に落ちた言葉でしたので引用させていただくと、それはギリシャ語の「クロノス」と「カイロス」という言葉です。クロノスというのは物理的な時間の流れの意味です。これは誰にとっても平等で、「時間(とき)よ止まれ」と叫んだ権力者がいますが、止めることはできません。「カイロス」はその前後で世界や人生が変わってしまう歴史的なタイミングの意味です。
4年間のクロノス的時間の流れの中で、君たち自身はどうですか? 4年前の新入生の頃の自分と比較して、今の自分はどのように変わっているでしょうか? 大化けボタンのスイッチはオンされたでしょうか? そしてその明かりは、皆さんがこれから歩もうとしている道をどのように照らしてくれるでしょうか? そして、本日、静岡産業大学の学士課程を終えて卒業する皆さんにとっては、3月14日が一つの「カイロス」であるでしょう。昨日までの時間の流れが本日で切断され、これからの皆さんの環境は大きく変化し、新しい時間が始まるのです。
今日は、この後、大化けをした一人、静岡産業大学第6回卒業生の薩川悠輔君が、皆さんに特別講演をして下さいます。薩川君は国際情報学部を卒業し、現在は薩川組代表取締役専務として経営の第一線で地域のために貢献されています。皆さんと年が近いですから等身大の話が聞けると思いますので、期待してください。
新しい時間が始まるにあたって、卒業式の当日に卒業生に感想を聞いてみると、もちろん、皆、口々に感謝の気持ちを表明し、そこに大きな喜びがあることも感じられるのですが、それでも、多くの諸君が口にすることの一つに、将来への漠然とした不安があります。
私は、ちょうど今から50年前に大学学部を卒業したのですが、私も、卒業式の頃は会社という未知の世界で自分は果たしてやっていけるのだろうかと感じていました。卒業して社会へ出て自分はどの程度やっていけるだろうかという漠然とした不安と、将来に対する夢や希望が複雑に胸中に沸き起こってくるということは、このカイロスの1つを乗り越えていくときには当たり前のことなのかもしれません。皆さんはどうですか?
今後、新しい時間の中で、皆さんが道に迷いそうになった時に、皆さんに思い起こしていただきたいのは、卒業の時、つまり今、皆さんが抱いている希望や夢です。それを大事にして、常にそれを思い起こして努力していけば、漠然とした不安は何歳になってもあるものですが、きっとその時その時でそのような不安は克服できるものと信じています。そして、今の夢や希望をぜひ実現させて、何年かあるいは何十年か経ってから、「あいつ大化けしたな」と言われるようになってください。
成長曲線あるいは習熟曲線というのがあります。一般にはS字カーブです。S字の最初の方は指数曲線と言って、いわば複利計算の原理です。最初のうちは進歩や変化が遅く見えても、だんだん時間がたつとそれが複利で効いてくるので、進歩や変化のスピードが非常に大きくなります。継続して努力してきた人と、努力しなかった人の差はそこのところであると私は思います。
ところで、皆さんは大学という高等教育を修了したことになりますが、静岡産業大学では、実学を理念とした高等教育を行っています。卒業をするにあたって、皆さんはこの実学というものをどのようにとらえたでしょうか?
「人が学問をするのは、むつかしい仕事ができるようになるためである。むつかしい仕事ができれば、人の上に立ち、富を得ることもできる」
と言ったのは、かの福沢諭吉です。「学問のすすめ」で色々と実学について論じています。それでは、むつかしい仕事とは何かというと、福沢は「心を使い心配りをする仕事、例えば役人、医者、研究者、大きな商売を営む人、経営者など大勢の人を使うような仕事をする人」だと言っています。なぜ、福沢がわざわざそんなことを言っているかというと、当時、つまり明治維新の前までは、学問と言えば論語を読み詩歌を吟じることが主体であったからです。これらの学問を修めることは人格形成の上で必要だとした上で、それだけでは「むつかしい仕事はできない。人の上にはたてない」と福沢は言ったのです。
福沢があげたむつかしい仕事の定義を見て思い当たることがあります。いま、AIの応用が本格化していく気配で、多くの職業がAIを積んだロボットに置き換わるのではないかと言われています。福沢があげたむつかしい仕事、つまり実学を勉強しなければならない意味は、このAIでは置き換えることがむつかしい仕事とほぼ同じ定義範囲なのです。私は、ここに福沢諭吉の慧眼を見るのです。福沢が言う実学とは、現代流に解釈すれば、「文章がきちんと書け、メールやプレゼンテーションなどコミュニケーションをきちんと行うことができ、簿記や会計のやり方がきちんと分かり、計算ができ、パソコンの使い方が分かっていて、基本的なソフトが使える」という事の上で、さらに「地域、我が国、世界、すなわちローカルな世界とグローバルな世界の動向をきちんと捉えることができる。自然科学にも興味を持って、防災や技術革新などの動きをきちんと捉えることができる、歴史に興味を持ち歴史に学ぶことができる、ミクロ経済学、マクロ経済学の理屈できちんと経済を考えることができる、そして自身をコントロールし、自分を律する知恵を持っている」ということになります。
静岡産業大学のカリキュラムは、この福沢の実学をさらに精緻化したカリキュラムポリシーに則り独自のものとして作られています。その上にさらに経営やスポーツ、情報や国際などの専門科目としての実学が乗っています。
本日卒業する皆さんも、静岡産業大学が皆さんのために提供してきたこのような幅広い実学、すなわち日常の用事に必要な基礎的な実学とその上にある生きるために必要な、いわば教養的な実学を、講義の中で、ゼミの中で、あるいは冠講座や特別講座、インターンシップの中で大いに学んできたことと思います。特に福沢の実学の最後の「自身をコントロールし、自分を律する知恵を持つ」ということは、知識の勉強だけでは得られるものではなく、自らの能動的な学習の中で、あるいは特にスポーツ活動の中で学習することができたのではないかと思います。
私は中学・高校時代にラグビーをやっていましたが、ラグビーはルールが難しく、かつへそ曲がりで、ボールは丸くない、ボールは前に投げてはいけない、ボールが来たからと言って一人で格好よく走ろうと思ってはいけない、そして試合中は監督もコーチも一切指示は出さない、ピッチにも居ないというスポーツです。その中で勝つという訓練の中で、2つの「ジリツ」、すなわち「自分を律すること」と「自分で立つこと」を訓練させられるのだと思います。
皆さんが卒業した後の社会は、どうやら安定的な社会ではなさそうです。社会を支える技術の面でも、ICTや医療などの分野で一層の進化があって、社会への影響でも大きな転換点にあると見られています。そうしたことから皆さんの前には多くの課題が待ち受けています。その時こそ、静岡産業大学で学んだ実学精神を発揮して、しなやかな発想で果敢に課題にチャレンジして欲しいと思います。皆さんが卒業後に示す仕事ぶりやふるまいが、静岡産業大学OB・OGとして企業から注目され、それが後輩たちにつながるようになってくれれば大変嬉しいことです。
先日の現3年生向けの学内企業ガイダンスには何人もの本学の卒業生が企業側の人間として参加し、後輩たちに熱心な説明をしていました。皆さんも、ぜひそれに続いて後輩たちに皆さんの活躍ぶりを伝えてください。これからの皆さんのご活躍を私は切に祈ります。そして、そのために今日皆さんが持っている希望や夢、目標を持ち続け、たゆまず勉学を続けていってくれることを切に願っています。
最後に、皆さんにもう一度エールを送りたいと思います。
経営学部卒業生218名、情報学部卒業生132名、
卒業おめでとう。
平成30年3月14日
静岡産業大学学長 鷲崎早雄
ただいま350名の方々に学位記を授与いたしました。卒業生の皆さん、おめでとうございます。卒業生の中には9名の留学生が含まれています。遠い母国を離れ、日本語と格闘しながら立派に研鑽を積まれたことに敬意を表したいと思います。
そして本日はここに、今日までの長い間にわたって皆さんの勉学を支えてこられ、この日を心より待ちわびておられたご家族・保護者の方々にも多数ご列席いただいております。その皆さま方のお喜びもいかばかりかとお察しし、祝意を申し上げる次第です。おめでとうございます。
また、共に勉強した学友や、共に活動したクラブの友人、授業やゼミで厳しくまた温かく指導してくださった先生方、学生生活の多様な場面で支えていただいた事務職員の方々、そうした多くの人たちとの絆の上に大学生活があったことを思い出し、今日の日を、そのような多くの人々に支えられて迎えることができたことに感謝し、本日の卒業の喜びをどうぞ分かち合ってください。
もちろん、124単位以上を取得し、ゼミでも頑張った、クラブでも頑張った、資格をとった、アルバイトも頑張った、ボランティアも頑張った、そんなに全部頑張れた人はいないでしょうが、いずれにしても頑張ることができた皆さん自身に感謝すること、褒めてあげることも忘れないでください。
さて、こうしてスーツや晴れ着を着た卒業生の明るい顔を見ますと、入学式や最初の授業の時のおどおどした新入生の顔から、ずいぶん落ち着いた大人の顔になってきたな、とつくづく思います。
時間というものには2つの概念があります。これは昨年のある大学の学長式辞の受け売りなのですが、私がぴったり腑に落ちた言葉でしたので引用させていただくと、それはギリシャ語の「クロノス」と「カイロス」という言葉です。クロノスというのは物理的な時間の流れの意味です。これは誰にとっても平等で、「時間(とき)よ止まれ」と叫んだ権力者がいますが、止めることはできません。「カイロス」はその前後で世界や人生が変わってしまう歴史的なタイミングの意味です。
4年間のクロノス的時間の流れの中で、君たち自身はどうですか? 4年前の新入生の頃の自分と比較して、今の自分はどのように変わっているでしょうか? 大化けボタンのスイッチはオンされたでしょうか? そしてその明かりは、皆さんがこれから歩もうとしている道をどのように照らしてくれるでしょうか? そして、本日、静岡産業大学の学士課程を終えて卒業する皆さんにとっては、3月14日が一つの「カイロス」であるでしょう。昨日までの時間の流れが本日で切断され、これからの皆さんの環境は大きく変化し、新しい時間が始まるのです。
今日は、この後、大化けをした一人、静岡産業大学第6回卒業生の薩川悠輔君が、皆さんに特別講演をして下さいます。薩川君は国際情報学部を卒業し、現在は薩川組代表取締役専務として経営の第一線で地域のために貢献されています。皆さんと年が近いですから等身大の話が聞けると思いますので、期待してください。
新しい時間が始まるにあたって、卒業式の当日に卒業生に感想を聞いてみると、もちろん、皆、口々に感謝の気持ちを表明し、そこに大きな喜びがあることも感じられるのですが、それでも、多くの諸君が口にすることの一つに、将来への漠然とした不安があります。
私は、ちょうど今から50年前に大学学部を卒業したのですが、私も、卒業式の頃は会社という未知の世界で自分は果たしてやっていけるのだろうかと感じていました。卒業して社会へ出て自分はどの程度やっていけるだろうかという漠然とした不安と、将来に対する夢や希望が複雑に胸中に沸き起こってくるということは、このカイロスの1つを乗り越えていくときには当たり前のことなのかもしれません。皆さんはどうですか?
今後、新しい時間の中で、皆さんが道に迷いそうになった時に、皆さんに思い起こしていただきたいのは、卒業の時、つまり今、皆さんが抱いている希望や夢です。それを大事にして、常にそれを思い起こして努力していけば、漠然とした不安は何歳になってもあるものですが、きっとその時その時でそのような不安は克服できるものと信じています。そして、今の夢や希望をぜひ実現させて、何年かあるいは何十年か経ってから、「あいつ大化けしたな」と言われるようになってください。
成長曲線あるいは習熟曲線というのがあります。一般にはS字カーブです。S字の最初の方は指数曲線と言って、いわば複利計算の原理です。最初のうちは進歩や変化が遅く見えても、だんだん時間がたつとそれが複利で効いてくるので、進歩や変化のスピードが非常に大きくなります。継続して努力してきた人と、努力しなかった人の差はそこのところであると私は思います。
ところで、皆さんは大学という高等教育を修了したことになりますが、静岡産業大学では、実学を理念とした高等教育を行っています。卒業をするにあたって、皆さんはこの実学というものをどのようにとらえたでしょうか?
「人が学問をするのは、むつかしい仕事ができるようになるためである。むつかしい仕事ができれば、人の上に立ち、富を得ることもできる」
と言ったのは、かの福沢諭吉です。「学問のすすめ」で色々と実学について論じています。それでは、むつかしい仕事とは何かというと、福沢は「心を使い心配りをする仕事、例えば役人、医者、研究者、大きな商売を営む人、経営者など大勢の人を使うような仕事をする人」だと言っています。なぜ、福沢がわざわざそんなことを言っているかというと、当時、つまり明治維新の前までは、学問と言えば論語を読み詩歌を吟じることが主体であったからです。これらの学問を修めることは人格形成の上で必要だとした上で、それだけでは「むつかしい仕事はできない。人の上にはたてない」と福沢は言ったのです。
福沢があげたむつかしい仕事の定義を見て思い当たることがあります。いま、AIの応用が本格化していく気配で、多くの職業がAIを積んだロボットに置き換わるのではないかと言われています。福沢があげたむつかしい仕事、つまり実学を勉強しなければならない意味は、このAIでは置き換えることがむつかしい仕事とほぼ同じ定義範囲なのです。私は、ここに福沢諭吉の慧眼を見るのです。福沢が言う実学とは、現代流に解釈すれば、「文章がきちんと書け、メールやプレゼンテーションなどコミュニケーションをきちんと行うことができ、簿記や会計のやり方がきちんと分かり、計算ができ、パソコンの使い方が分かっていて、基本的なソフトが使える」という事の上で、さらに「地域、我が国、世界、すなわちローカルな世界とグローバルな世界の動向をきちんと捉えることができる。自然科学にも興味を持って、防災や技術革新などの動きをきちんと捉えることができる、歴史に興味を持ち歴史に学ぶことができる、ミクロ経済学、マクロ経済学の理屈できちんと経済を考えることができる、そして自身をコントロールし、自分を律する知恵を持っている」ということになります。
静岡産業大学のカリキュラムは、この福沢の実学をさらに精緻化したカリキュラムポリシーに則り独自のものとして作られています。その上にさらに経営やスポーツ、情報や国際などの専門科目としての実学が乗っています。
本日卒業する皆さんも、静岡産業大学が皆さんのために提供してきたこのような幅広い実学、すなわち日常の用事に必要な基礎的な実学とその上にある生きるために必要な、いわば教養的な実学を、講義の中で、ゼミの中で、あるいは冠講座や特別講座、インターンシップの中で大いに学んできたことと思います。特に福沢の実学の最後の「自身をコントロールし、自分を律する知恵を持つ」ということは、知識の勉強だけでは得られるものではなく、自らの能動的な学習の中で、あるいは特にスポーツ活動の中で学習することができたのではないかと思います。
私は中学・高校時代にラグビーをやっていましたが、ラグビーはルールが難しく、かつへそ曲がりで、ボールは丸くない、ボールは前に投げてはいけない、ボールが来たからと言って一人で格好よく走ろうと思ってはいけない、そして試合中は監督もコーチも一切指示は出さない、ピッチにも居ないというスポーツです。その中で勝つという訓練の中で、2つの「ジリツ」、すなわち「自分を律すること」と「自分で立つこと」を訓練させられるのだと思います。
皆さんが卒業した後の社会は、どうやら安定的な社会ではなさそうです。社会を支える技術の面でも、ICTや医療などの分野で一層の進化があって、社会への影響でも大きな転換点にあると見られています。そうしたことから皆さんの前には多くの課題が待ち受けています。その時こそ、静岡産業大学で学んだ実学精神を発揮して、しなやかな発想で果敢に課題にチャレンジして欲しいと思います。皆さんが卒業後に示す仕事ぶりやふるまいが、静岡産業大学OB・OGとして企業から注目され、それが後輩たちにつながるようになってくれれば大変嬉しいことです。
先日の現3年生向けの学内企業ガイダンスには何人もの本学の卒業生が企業側の人間として参加し、後輩たちに熱心な説明をしていました。皆さんも、ぜひそれに続いて後輩たちに皆さんの活躍ぶりを伝えてください。これからの皆さんのご活躍を私は切に祈ります。そして、そのために今日皆さんが持っている希望や夢、目標を持ち続け、たゆまず勉学を続けていってくれることを切に願っています。
最後に、皆さんにもう一度エールを送りたいと思います。
経営学部卒業生218名、情報学部卒業生132名、
卒業おめでとう。
平成30年3月14日
静岡産業大学学長 鷲崎早雄