古くより静岡の自然や文化に魅了された作家は多くいますが、次のうち、ペンネームが静岡県にゆかりある作家は誰でしょう?
三島由紀夫の本名は平岡公威(ひらおか きみたけ)といいます。彼は幼い頃からその文才を開花させ、学習院中等科時代には「花ざかりの森」という傑作を書き上げます。作品に感銘を受けた国語教師の清水文雄は、伊豆修善寺温泉の旅館で開かれた、雑誌『文藝文化』の編集会議で、この「花ざかりの森」の掲載を提案し、賛同を得ます。
ところが、まだ16歳だった平岡を本名のまま世に出すのは危険だということになり、発表に際してはペンネームを使おうということになりました。そこで、清水らが修善寺へ来る道中、三島を経由し、そこで見た富士の雪が美しく印象に残っていたことから、「みしまゆきお」という音を考え、平岡本人に伝えました。当初、平岡は「三島由紀雄」という漢字を希望したそうですが、「雄」が重すぎるという清水の助言で、最終的に「三島由紀夫」になったといいます。(このペンネームの由来には諸説ありますが、清水文雄が書き残した上記のエピソードが、最も有力と考えられます)
「花ざかりの森」の三島直筆の原稿は、長い間行方不明になっていましたが、2016年に熊本市の蓮田家(雑誌『文藝文化』の編集長をしていた国文学者蓮田善明の実家)から発見され、くまもと文学・歴史館に寄贈されました。熊本地震発生の影響等で、それがすぐに公開されることはありませんでしたが、2021年、同館の開館5周年企画展「かたくなにみやびたる-蓮田善明と『文藝文化』-」において、初公開されることとなりました。
今年度、「三島由紀夫の語彙研究」をテーマに大学から特別研究支援を受けている私は、この情報を得て、すぐにくまもと文学・歴史文学館を訪れました。
そこには、まだ中学生だった三島が、ペン書きの「平岡公威」を2本線で消し、鉛筆で「三島由紀夫」と書き加えたデビュー作、「花ざかりの森」の直筆原稿がありました。
ところが、まだ16歳だった平岡を本名のまま世に出すのは危険だということになり、発表に際してはペンネームを使おうということになりました。そこで、清水らが修善寺へ来る道中、三島を経由し、そこで見た富士の雪が美しく印象に残っていたことから、「みしまゆきお」という音を考え、平岡本人に伝えました。当初、平岡は「三島由紀雄」という漢字を希望したそうですが、「雄」が重すぎるという清水の助言で、最終的に「三島由紀夫」になったといいます。(このペンネームの由来には諸説ありますが、清水文雄が書き残した上記のエピソードが、最も有力と考えられます)
「花ざかりの森」の三島直筆の原稿は、長い間行方不明になっていましたが、2016年に熊本市の蓮田家(雑誌『文藝文化』の編集長をしていた国文学者蓮田善明の実家)から発見され、くまもと文学・歴史館に寄贈されました。熊本地震発生の影響等で、それがすぐに公開されることはありませんでしたが、2021年、同館の開館5周年企画展「かたくなにみやびたる-蓮田善明と『文藝文化』-」において、初公開されることとなりました。
今年度、「三島由紀夫の語彙研究」をテーマに大学から特別研究支援を受けている私は、この情報を得て、すぐにくまもと文学・歴史文学館を訪れました。
そこには、まだ中学生だった三島が、ペン書きの「平岡公威」を2本線で消し、鉛筆で「三島由紀夫」と書き加えたデビュー作、「花ざかりの森」の直筆原稿がありました。
全ての三島作品の語彙数をカウントする
谷口正昭教授の専門は日本語教育学。留学生に対して日本語を指導しながら、大学等、高等教育機関に進学する学習者のための教材開発や、語彙教育に直結する、文学作品を利用した教材作成に力を入れています。また、日本語教育を通して日本語の難しさ、素晴らしさをあらためて確認し、自身の研究の原点である三島由紀夫の、言葉の面での再評価を試みています。近年は、特に日本一と考えられる三島の語彙量に注目し、同じ文量に含まれる「異なり語数(重複しない単語数)」をコンピューターを使って分析。エジプトのカイロ大学でその成果を発表するなど、他の作家と比較した三島の語彙の豊かさを世界に発信しています。
経営学部/谷口 正昭 教授 日本語リテラシー研究センター センター長 早稲田大学大学院教育学研究科国語教育専攻修士課程修了。聖パウロ学園高等学校国語科教諭、独立行政法人日本学生支援機構東京日本語教育センター専任教員、静岡産業大学情報学部准教授を経て現職。 ● 専門分野 日本語教育学 ● 近年の研究テーマ ・三島由紀夫の語彙の再評価 |