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「手」


 自分の手をじっくりと眺めたことはありますか。私たちの日常は手によって支えられています。手を使わない日はないでしょう。手の使い方の違いや癖は、時と共に指紋のように刻まれ、あなたの手固有の表情となります。手はあなたの人生の縮図なのかもしれません。
 遡れば、私たち人間は、長い間、手を活用してきました。フランスの哲学者、ベルクソンは、「知性とは、その根原的な歩みと思われる点から考察するならば、人為的なものをつくる能力、とくに道具をつくるための道具をつくる能力であり、またかかる製作を無限に変化させる能力である」とし、人間をホモ・ファベル(工作人)と定義しました。また、カナダの脳外科医、ペンフィールドは、体の各部位に対応する脳の(体性)感覚野と(1次)運動野を、ホムンクルス(Homunculus、ラテン語で「小人」の意味)と呼ばれる絵図で表し、体の部位に対応する脳の領域の広さを、絵図の部位の大きさで示しました。感覚野、運動野ともに手が大きく描かれています。手の繊細な運動は、脳の広い領域、つまり多くの脳神経細胞の制御により実現しているのです。大脳生理学者の久保田競は、動物が高等になるほど手と口に対応する脳の領域が広くなると指摘しています。私たちの先祖は、樹上から視界の開けた地上で二足歩行を始め、自由になった両手で道具を作るようになりました。そして手に対応する脳の領域は広がり、より繊細な手の運動を獲得し進化を遂げたのです。手は人類の進化にも一役買ってきたのです。
 さて、私が担当する造形表現や図画工作の授業では、手を様々に用います。スポーツは握力把握が中心ですが、造形活動では精密把握が主役です。精密把握は指先による繊細な運動です。例えば、小さなビーズをつまむ、紙の端をぴったりとそろえて折るなどです。精密把握は母指と他指がそれぞれ向かい合う対向運動によって実現されます。対向運動は人間固有の運動で、原猿類や新世界ザルは全くできず、一部の旧世界ザルや類人猿でも不完全にしかできません。日本ザルがお米を拾う様子をみたことがありますか。示指の第2関節を屈曲し、母指と同じくらいの長さにし、双方の側面で挟み込もうとします。私たちからすると随分要領が悪く感じられます。私たちは示指と母指を対向させ、指先でつまむことができるからです。ところが最近、こんな場面に遭遇しました。学生が落ちたビーズを拾おうとするのですが、上手くいかないのです。示指と母指の第一関節が伸展しているため、指先が向き合わないのです。人類の進化に一役買ってきたはずの手ですが、最近の便利な生活では、その有能さを鍛える機会にあまり恵まれていないようです。
 改めて自分の手をじっくり眺めてみましょう。逞しく鍛えられた手、細く白い指と美しく飾られた爪をもつ手、爪を刈り込んだ太く力強い指の手・・・あなたの手はどんな表情でしょうか。手は飾りではありません。手は使えば使うほどに細やかで力強く、無駄のないスムーズな動きを習得し、あなたの生活や人生を豊かに支えてくれます。ごつごつと節くれだった手や日焼けしたガサガサの手、古傷を持つ手も、そこに刻まれた人生を思うと、時に魅力的に、時に愛しく感じられませんか。

「ペンフィールドのホムンクルス」

参考文献
ベルクソン著,真方敬道訳,『創造的進化』,岩波文庫,1979年
鈴木良次著,『手の中の脳』,東京大学出版会,1994年
久保田競著,『手と脳』,紀伊國屋書店,2010年