「オリンピックに見るスポーツの楽しさ再考」
経営学部 教授 山田悟史
2021年の東京オリンピックは、さまざまな視点から話題となったオリンピックでした。今回新採用された競技は「野球・ソフトボール」「空手」「スケードボード」「スポーツクライミング」「サーフィン」の5つありました。日本人にとってそのうち「野球・ソフトボール」「空手」の2競技は伝統的なスポーツと言えますが、「スケートボード」「スポーツクライミング」「サーフィン」の3競技(以下、新3競技と勝手に呼びます)はスポーツとして比較的なじみの浅いものだと言えます。私も初めて競技として観ました。
この新3競技を観て、とても面白いと思いましたが、それ以上に、なんだか「楽しい」気持ちになりました。観ているときは気になっていなかったのですが、オリンピックが終わり数日たち、あの「楽しい」と言う気持ちは何だったのだろうと考えました。色々考えた末、選手たちに気負いを感じなかったからだとの結論に至りました。
それは何の気負いもないという事ではありません。選手それぞれ、様々なものを背負っているだろうし、気負いもあるだろう感じます。私が感じなかったのは「楽しむ」ことへの気負いです。「楽しもう!」という気負いはなく、純粋に「楽しんでいる」と感じたのです。自己修練や何かのためにやっているのではなく、選手自身が楽しいからやっていると感じられたのです。
選手がスポーツを純粋に楽しんでいるからこそ、観ている我々をドキドキ、ワクワクさせるのではないでしょうか。新3種目の選手たちも血のにじむような努力をしているに違いありませんが、そこに悲壮感は感じられず、むしろ明るく前向きな雰囲気が感じられました。
以前夏の高校野球を観て「ドームでもっと快適にやれば良いのに」とつぶやいたところ、その時近くにいた友人が「ドームでやったら人気が下がりますよ。高校生がしんどい思いをしてやってるのを応援するのが楽しいって人が多いんだから」とまことしやかに言っていたことを思い出しました。確かに日本では、競技スポーツにおいて「悲壮感」を伴う努力を良しとする風潮があるように感じます。楽しむことよりもむやみに努力や忍耐が優先(強制)されていることもしばしば見かけます。もちろん新3種目以外の選手でも純粋に楽しんでいる選手もいると感じますが、「金メダルが取れて今までのことが『報われた』」というコメントや、「楽しんできます!」とか「楽しめました!」ということさら強調されたコメントを聞いていると、やはり差を感じます。
次のパリオリンピックでは、新3種目はそのまま採用されますが、「野球・ソフトボール」と「空手」は採用されません。その理由は複合的であるようですが、伝統的であることそのものが一因となっているとみられているようです。
日本は「野球・ソフトボール」の継続採用を目指していましたが、いま求められているのは「再興」ではなく「変革」であるように思います。つまり、頑張って良いゲームをして既存の野球好き・ソフトボール好きにアピールすることではなく、楽しくできるような環境作り、あるいは楽しんでいることが伝わるような環境作りを含めた「変革」、そのための意識変革が必要だったのではないでしょうか。ある選手のドキュメンタリーで見た「以前オリンピック種目でなくなった時、やる気をなくし抜け殻のようになってしまった」というような状況では今後も難しいのではと感じてしまいます。
スポーツは本来、自らの楽しみのために行うものです。今後は、指導者が不機嫌な態度で頑張らせるのではなく、選手自らの楽しみのためにスポーツを行い、そして指導者はそれを支える、そんなスポーツ環境が広まれば、スポーツでもっと人生を楽しむ人が増えてくれるのではと期待しています。
2021年の東京オリンピックは、さまざまな視点から話題となったオリンピックでした。今回新採用された競技は「野球・ソフトボール」「空手」「スケードボード」「スポーツクライミング」「サーフィン」の5つありました。日本人にとってそのうち「野球・ソフトボール」「空手」の2競技は伝統的なスポーツと言えますが、「スケートボード」「スポーツクライミング」「サーフィン」の3競技(以下、新3競技と勝手に呼びます)はスポーツとして比較的なじみの浅いものだと言えます。私も初めて競技として観ました。
この新3競技を観て、とても面白いと思いましたが、それ以上に、なんだか「楽しい」気持ちになりました。観ているときは気になっていなかったのですが、オリンピックが終わり数日たち、あの「楽しい」と言う気持ちは何だったのだろうと考えました。色々考えた末、選手たちに気負いを感じなかったからだとの結論に至りました。
それは何の気負いもないという事ではありません。選手それぞれ、様々なものを背負っているだろうし、気負いもあるだろう感じます。私が感じなかったのは「楽しむ」ことへの気負いです。「楽しもう!」という気負いはなく、純粋に「楽しんでいる」と感じたのです。自己修練や何かのためにやっているのではなく、選手自身が楽しいからやっていると感じられたのです。
選手がスポーツを純粋に楽しんでいるからこそ、観ている我々をドキドキ、ワクワクさせるのではないでしょうか。新3種目の選手たちも血のにじむような努力をしているに違いありませんが、そこに悲壮感は感じられず、むしろ明るく前向きな雰囲気が感じられました。
以前夏の高校野球を観て「ドームでもっと快適にやれば良いのに」とつぶやいたところ、その時近くにいた友人が「ドームでやったら人気が下がりますよ。高校生がしんどい思いをしてやってるのを応援するのが楽しいって人が多いんだから」とまことしやかに言っていたことを思い出しました。確かに日本では、競技スポーツにおいて「悲壮感」を伴う努力を良しとする風潮があるように感じます。楽しむことよりもむやみに努力や忍耐が優先(強制)されていることもしばしば見かけます。もちろん新3種目以外の選手でも純粋に楽しんでいる選手もいると感じますが、「金メダルが取れて今までのことが『報われた』」というコメントや、「楽しんできます!」とか「楽しめました!」ということさら強調されたコメントを聞いていると、やはり差を感じます。
次のパリオリンピックでは、新3種目はそのまま採用されますが、「野球・ソフトボール」と「空手」は採用されません。その理由は複合的であるようですが、伝統的であることそのものが一因となっているとみられているようです。
日本は「野球・ソフトボール」の継続採用を目指していましたが、いま求められているのは「再興」ではなく「変革」であるように思います。つまり、頑張って良いゲームをして既存の野球好き・ソフトボール好きにアピールすることではなく、楽しくできるような環境作り、あるいは楽しんでいることが伝わるような環境作りを含めた「変革」、そのための意識変革が必要だったのではないでしょうか。ある選手のドキュメンタリーで見た「以前オリンピック種目でなくなった時、やる気をなくし抜け殻のようになってしまった」というような状況では今後も難しいのではと感じてしまいます。
スポーツは本来、自らの楽しみのために行うものです。今後は、指導者が不機嫌な態度で頑張らせるのではなく、選手自らの楽しみのためにスポーツを行い、そして指導者はそれを支える、そんなスポーツ環境が広まれば、スポーツでもっと人生を楽しむ人が増えてくれるのではと期待しています。