グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



ホーム >  リレーエッセイ >  「コロナ時代に文学は有効か」

「コロナ時代に文学は有効か」


経営学部 教授 小谷内郁宏(比較文学 比較文化) 
 私は、磐田キャンパスで前期の教養科目として「文学」の講義を担当している。2020年度、2021年度と続けて、コロナ蔓延のためオンラインで行っている。昨年、今年度とも受講者数は、100人を優に越えている。最初の数週では、はるか古代ギリシャ・ローマの文学から西欧の代表的な近現代文学者(ゲーテからカミュ)を概説し、その後は明治以降、欧米文学の影響を大きく受けて展開した日本の近代文学者(夏目漱石から宮澤賢治)を扱った。
 講義の中では単なる文学史で終始しては味気ないものになると考え、受講者には実際の作品の抜粋を読んでもらい、その作家の生きた時代と社会、考え方そして文体などを感じ取ってもらうようにしている。回を重ねていく内に、講義する側の私もあらためて、それぞれの作家の作品が、その時代、社会との相克、そして明治以降の言文一致運動から始まる日本語との格闘の末に、苦しみながら生まれたものに違いないという認識を抱いた。
 ところで2015年、文部科学省が国立大学改編案として文系学部廃止を謳ったことは記憶に新しい。要は、これからの社会的ニーズに合った人材養成ができない学部はアウトということであろうが、中でも一番の矢面に立たされているのは私自身が経由した文学部かもしれない。今後の文学部の将来は何とも不透明である。
 歴史を紐解いてみると、大学の文学部の創設は比較的新しく、19世紀末イギリスであり、その背景には二つの理由があったという。一つは、それまで政府に従順だった労働者階級が、当時の教会の弱体化により反抗的になってきたことであった。支配階級はこのことに危機感を覚え、教会に代わって道徳(政府への従順)を民衆に教える道具として文学を利用したとされる。二つ目は、当時植民地での宗主国イギリスに対する不満が高まってきたという背景があった。それゆえイギリスの文明の優越性を被植民地者に植え付けるため、文学は政治的なツールとして活用されたという。その有効性から、権力者によって文学を研究する文学部創設が進んでいったそうである。日本でも明治時代、帝国大学の文学部創設にはそういった政治的意味合いがあったのかもしれない。
 ここで、冒頭のタイトル「コロナ時代に文学は有効か」に戻る。このタイトルは、フランスの哲学者、文学者のジャン=ポール・サルトル(1905-1980)が、1964年米ソ冷戦の最中に言った問いかけ、「飢えて死ぬ子供を前にして文学は有効か」になぞらえている。彼はマルキシズムに共鳴し、哲学的理念のアンガージュマン(社会参加)を称揚し、自身の文学も社会的現実を前にしては無力と考え、その年のノーベル文学賞受賞も辞退した。  
 そしてサルトルが当初は親しく交流していたにもかかわらず、後に袂を分かった作家がアルベール・カミユ(1913-1960)である。フランス植民地のアルジェリアで生まれ育ったことへのコンプレックスが、彼に不条理主義の傑作『異邦人』(1942)を書かせた。その5年後、カミユはアルジェリア、オラン市がペストの蔓延によってロックダウンされるという、現在のコロナ状況を予感させる『ペスト』(1947)を上梓した。そして1957年に44歳でノーベル文学賞受賞、1960年47歳で車の事故により死亡した。
 『ペスト』では、6人の主な象徴的な登場人物、医師「戦う者」、記者「逃げる者」、密売人「利用するもの」、司祭「意味づける者」、役人「探す者」、旅行者「理解する者」の皆が、それぞれ「見えない敵」と向き合い、苦悩し、行動する。
 『ペスト』の主要テーマは、「不条理な状況においても、真摯に向き合い対処していくことこそ最善の道」ということであり、鬱屈的なコロナ状況にある私たちにとって、正しく希望を与えて止まない作品であると思う。