偶然か必然か
今回のエッセーは、身近な人との出会いや出来事(対象とした研究等)が、偶然なのか必然なのかについて、書くことにする。
今日6月11日は、実父伊藤博(1923-2018)の誕生日である。生きていれば96歳になるが、惜しくも昨年亡くなった。父は戦争体験者であり、好きな英語もろくに学べなかったようで、定年後にはイギリスの大学に留学したり、夏休みには欧米各国を遊び歩いたりした。同姓同名の伊東博(1919-2000、元横浜国立大学教授・ロジェリアン)は、1949年日本初のフルブライト留学生として渡米し、カウンセリングを初めて日本に紹介した人である。実父と同姓同名であったことも起因して、私は静岡産業大学の前任地であった横浜国立大学に赴任したのを契機に、伊東博に師事し、カウンセリングの勉強を始め、40年近くになる。
その一方で、大学時代にモダンダンスを始めたが、恩師は正田千鶴(1931- )である。彼女は群馬県の小学校教員であったが、モダンダンスの父と称される江口隆哉(1900-1977)の研修会に衝撃を受け、教員をやめて上京し、江口の門下生になる。今年88歳になる正田だが、夏の「現代舞踊展」に向けてダンス創作に没頭している。私は現在、正田を対象にした研究をまとめているが、資料を収集していると、正田の若い頃に踊っている写真を見つけた。それを見ると、私はどこか正田に似ているように思える。正田とのかかわりはすでに50年近くになる。
また、70歳で世界デビューした舞踏家大野一雄(1906-2010)の研究を数年前に行い、イタリアのボローニャ大学での学会に招聘され研究成果を発表する機会に恵まれた。大野は祖母と同じ1906年に生まれ、母と同じ2010年に亡くなったことが分かった。私の踊りは20年前に病気であまり動けなくなった頃から、「大野一雄のようだ!」と言われ始めた。光栄の極みである。そう言えば大野舞踏研究所は横浜国立大学から歩いて行けるところにある。大野の呼吸を感じられる場所に40年近くいたことも起因しているかもしれない。
さらに、「からだとことばのレッスン」を創始した竹内敏晴(1925-2009)の研究においても分かったのだが、竹内は母と同じ年に東京で生まれ、共に84年の生涯を閉じている。
これらのことは偶然のように思える出来事であるが、必然のようにも思えるのである。自然という言葉は「しぜん」とも「じねん」とも読めるが、「じねん」と読む時、「おのずからしかり」のように、見えない糸に引っ張られて、気がつけばその人に興味を持ち、その人のもとで学んだり、研究対象にしたりしている。世界的仏教学者の鈴木大拙(1870-1966)は、西洋の「ネイチャー」は自己に対する客観的存在でいつも相対性の世界であるのに対し、東洋の「自然」は主体的で絶対性をもち相対性はなく、「自己本来にしかり」であると考える。
このように捉えると、私の踊り(掲載写真は『瞬間の門』というダンス作品で、直径40cmの丸椅子の上だけで踊る)や研究は、私のからだ(心と体)の中に知らぬうちに空気のように存在し、ある時そのことに気がつき(鈴木大拙はawareness覚知と言っている)、顕在化していったのだと思われる。その最たるものが、私たちが創始した「からだ気づき教育」である。
それにしても、今回挙げた人々は、明治・大正・昭和・平成・令和を生き、時代の先を読み、自身の夢を追い求め実現した人のように思える。私の遥か先を歩んでおり、いくら追いつこうとしても叶わないが、これからも亀のように歩み続けて生きたいと思っている。偶然が必然になることを求めて!
[参考文献]
髙橋和子(2011)「大野一雄のダンス教育に関する一考察:捜真女学校時代の指導経歴を中心として」Research Journal of JAPEW Vol.27)
髙橋和子(2019)「大正・昭和・平成を生きた身体論や表現論のパイオニアの実践論形成の経過とその継承:伊東博、野口三千三、松本千代栄、竹内敏晴」Research Journal of JAPEW Vol.35)
今日6月11日は、実父伊藤博(1923-2018)の誕生日である。生きていれば96歳になるが、惜しくも昨年亡くなった。父は戦争体験者であり、好きな英語もろくに学べなかったようで、定年後にはイギリスの大学に留学したり、夏休みには欧米各国を遊び歩いたりした。同姓同名の伊東博(1919-2000、元横浜国立大学教授・ロジェリアン)は、1949年日本初のフルブライト留学生として渡米し、カウンセリングを初めて日本に紹介した人である。実父と同姓同名であったことも起因して、私は静岡産業大学の前任地であった横浜国立大学に赴任したのを契機に、伊東博に師事し、カウンセリングの勉強を始め、40年近くになる。
その一方で、大学時代にモダンダンスを始めたが、恩師は正田千鶴(1931- )である。彼女は群馬県の小学校教員であったが、モダンダンスの父と称される江口隆哉(1900-1977)の研修会に衝撃を受け、教員をやめて上京し、江口の門下生になる。今年88歳になる正田だが、夏の「現代舞踊展」に向けてダンス創作に没頭している。私は現在、正田を対象にした研究をまとめているが、資料を収集していると、正田の若い頃に踊っている写真を見つけた。それを見ると、私はどこか正田に似ているように思える。正田とのかかわりはすでに50年近くになる。
また、70歳で世界デビューした舞踏家大野一雄(1906-2010)の研究を数年前に行い、イタリアのボローニャ大学での学会に招聘され研究成果を発表する機会に恵まれた。大野は祖母と同じ1906年に生まれ、母と同じ2010年に亡くなったことが分かった。私の踊りは20年前に病気であまり動けなくなった頃から、「大野一雄のようだ!」と言われ始めた。光栄の極みである。そう言えば大野舞踏研究所は横浜国立大学から歩いて行けるところにある。大野の呼吸を感じられる場所に40年近くいたことも起因しているかもしれない。
さらに、「からだとことばのレッスン」を創始した竹内敏晴(1925-2009)の研究においても分かったのだが、竹内は母と同じ年に東京で生まれ、共に84年の生涯を閉じている。
これらのことは偶然のように思える出来事であるが、必然のようにも思えるのである。自然という言葉は「しぜん」とも「じねん」とも読めるが、「じねん」と読む時、「おのずからしかり」のように、見えない糸に引っ張られて、気がつけばその人に興味を持ち、その人のもとで学んだり、研究対象にしたりしている。世界的仏教学者の鈴木大拙(1870-1966)は、西洋の「ネイチャー」は自己に対する客観的存在でいつも相対性の世界であるのに対し、東洋の「自然」は主体的で絶対性をもち相対性はなく、「自己本来にしかり」であると考える。
このように捉えると、私の踊り(掲載写真は『瞬間の門』というダンス作品で、直径40cmの丸椅子の上だけで踊る)や研究は、私のからだ(心と体)の中に知らぬうちに空気のように存在し、ある時そのことに気がつき(鈴木大拙はawareness覚知と言っている)、顕在化していったのだと思われる。その最たるものが、私たちが創始した「からだ気づき教育」である。
それにしても、今回挙げた人々は、明治・大正・昭和・平成・令和を生き、時代の先を読み、自身の夢を追い求め実現した人のように思える。私の遥か先を歩んでおり、いくら追いつこうとしても叶わないが、これからも亀のように歩み続けて生きたいと思っている。偶然が必然になることを求めて!
[参考文献]
髙橋和子(2011)「大野一雄のダンス教育に関する一考察:捜真女学校時代の指導経歴を中心として」Research Journal of JAPEW Vol.27)
髙橋和子(2019)「大正・昭和・平成を生きた身体論や表現論のパイオニアの実践論形成の経過とその継承:伊東博、野口三千三、松本千代栄、竹内敏晴」Research Journal of JAPEW Vol.35)
ダンス作品『瞬間の門』2010