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うそっ!いつの間に?


※職位や内容は投稿時のものです

2023年9月27日更新

 ちょっと怖い話をしよう。あなたは狭い路地から車を出そうとしている。曲がり角で止まって左右を確認すると、左から小さな子どもが飛び出してくる。あなたはその子をやり過ごし、いざ発進しようと思ったら、同じ方向から来た自転車が目の前にいて、慌ててブレーキを踏む。危ない危ない!確認したつもりなのに、いつの間に自転車が来ていたんだろう?自転車を運転する人がちらっとこちらを睨む。右手をあげて挨拶するあなたの背中に冷や汗が流れる…。自動車を運転する人なら誰しも一度は似たような経験があるだろう。

 我々が自動車を運転するとき、常に様々なことに注意を払っている。他の自動車、自転車、歩行者、路上駐車…。免許取り立ての新人ドライバーは言うまでもなく、運転歴何十年というベテランドライバーでも、変わることはない。しかし、細心の注意を払っているにも関わらず、このような交差点での事故は繰り返し起こってしまう。一体なぜなのだろうか?多くの場合、運転手の「不注意」が原因とされてしまうが、運転者が「注意」していれば、それらの事故は防げたのだろうか?そもそも、事故を起こした運転手は誰もが「不注意」だったのだろうか?

 我々は常に外部の環境からの膨大な刺激(=情報)にさらされながら生活している。あまりにも情報の量が多いため、当然全ての情報を処理することは不可能だ。そこで、我々は意識する・しないにかかわらず、これらの情報を取捨選択して、必要な情報だけを取り込んで処理している。このようなメカニズムを選択的注意と呼んでいる。あなたも、街を歩いているとき、雑音の中で背後から自分の苗字が聞こえてきたら、おそらくそちらを振り向くことだろう*1

 選択的注意には空間的な側面と時間的な側面がある(森本・八木、2010)。ある特定の空間に注意を向けると、注意を向けていない空間の刺激には素早く反応できない。これを注意の空間的な制限と呼ぼう。同じように、ある刺激に注意を向けると、その後しばらくの間同じ位置に出てきた他の刺激に反応できない。この注意の時間的な制限は注意の瞬きと呼ばれている*2。注意の瞬きは注意の時間的な側面における一時的な不全による見落とし現象で、実験的には0.2秒間位と報告されている(森本・八木、2010)。

 前の自動車の例に当てはめてみよう(図1)。左右確認したあなたは左側から飛び出してきた小さな子どもに注意を向ける。あなたは注意の空間的な制限によって、子ども以外の物(ここでは子どもの後ろから走ってくる自転車)に注意を向けることができない。そして、子どもが目の前を通り過ぎると、注意の時間的な制限によってほんの一瞬子どもがいたところに進入してきた自転車に注意を向けることができない。0.2秒という時間は自転車(20㎞/h)であればおおよそ1.1m程、自動車(40km/h)であれば2.2mほど移動する。事前に確認したつもりになっても、あなたが目に飛び出してきた子どもに注意して後ろから来る自転車に注意が向かず、更に0.2秒の注意の瞬きが生じた間に自転車はあなたの車の目の前まで進んできたのである。もちろんこれは非常に乱暴な説明であり、天候・時間帯や体調、そもそもあなた自身による安全確認の丁寧さなど様々な要因が絡んでいる。しかし、子どもをやり過ごしたあと、改めてゆっくりと左右の確認をすれば、あんな怖い思いをしないで済んだだろう。ヒトの注意には非常に狭い限界がある、ということを日頃から念頭に置く必要がある。

図1 注意の空間的な制限と時間的な制限の例
子どものイラスト・自転車のイラスト(from www.ac-illust.com)、車のイラスト(from www.gettyimages.co.jp)


 近年高齢者ドライバーによる交通事故が激増している。運転技術そのものの低下はもちろんであるが、認知的な機能の低下も、事故増加の重要な原因となっている。上でお話ししてきた注意機能も自動車運転には欠かすことのできない重要な認知機能だ。注意の瞬きについても、高齢者において刺激の見落とし発生の増加や、見落としが起きる時間が若年者よりも長くなるという研究結果が報告されている(渡邊他、2005)。昨年(令和4年)5月からは運転免許の更新について、これまでの高齢者講習に加えて、一部運転技能検査も導入された*3。行政における対策も強化されているが、高齢になるまで持続的に安全運転を続けるためには、自分の注意機能について、日頃からチェックを怠らないことが重要なのではないだろうか。


  • *1: 選択的注意(selective attention)はコリン・チェリーのカクテルパーティー効に始まると言われる(Cherry. C., 1966)。多くの心理学の教科書で取り上げられている。詳しく知りたい人は「認知心理学講座1 認知と心理学」(大山正・東洋(編)東京大学出版会(1984)などを参照。
  • *2: 注意の瞬き(attentional blink)は刺激の感情的な成分にも影響を受ける。「脳科学は人格を変えられるか?」エレーヌ・フォックス(著)森内薫(訳) 文芸春秋(2015)をお勧めする。
  • *3: 高齢者の免許更新制度については、例えば、高齢者講習(高齢運転者の免許更新手続)|静岡県警察 (https://www.pref.shizuoka.jp/police/shinse/menkyo/korei/korekoshu.html)(2023年8月3日最終閲覧)などを参照のこと。

  • 森本文人, 八木昭宏. 注意の瞬き現象のメカニズム. 関西学院大学人文論究. 2010: 25(38): 25-38.
  • 渡邊洋, 安達公洋, 梅村浩之, 松岡克典. 先行する課題内容が高齢者の注意の瞬きに及ぼす影響. 人間工学. 2005:41(4): 244-247.