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「夢を持つこと」とスポーツ心理学


※職位や内容は投稿時のものです

2022年9月15日更新

 もし皆さんがメンタルトレーニングについて学ぼうと思うと、多くの方は目標設定理論に出会うこととなる。目標設定理論を流し見ると、目標設定の際には具体的に何をするのかを明確にし、達成できそうな目標を設定することが重要なのだと書いてある。ここだけ切り取ると、メンタルトレーニングとは、現実を見つめる作業に思える。

 しかし、多くの大人たちは子どもに夢を持つことが大切だと話す。そして大人になるとそれが「夢物語」だと考えるようになる。どうして大人になると、夢を持つことが恥ずかしいものに思えたり、本当は夢があっても本音を隠すようになってしまうのだろうか。

 「恥」の感情は、社会的な評価の低下や自己評価の低下に起因するといわれている。多くの場合「夢」となることは、現在の自分には届かないかもしれない将来の自分を想像することとなる。もしかしたらそれはオリンピックの金メダルかもしれないし、大人になってからピアノを弾き始めてラフマニノフの楽曲を優雅に演奏できるようになることかもしれない。夢に向かって歩み始めると、達成するまでの距離の遠さに驚くことになる。ピアノを弾きたいのに、楽譜すらスムーズに読めない状況に愕然とするかもしれない。この時に、思い描いていたピアニストの姿とのギャップや、自分よりも圧倒的に上手に演奏する子どもたちを目の当たりにして恥ずかしさを感じるかもしれない。

 「シズオカ・ショック」とは、2019年にラグビー日本代表がアイルランド代表を下し、初めての決勝トーナメント進出を決めた試合のことである。当時のアイルランドは世界最強チームの一角であり、本当に日本が勝利するとは誰も予想していなかった。この勝利の背景には、チームがW杯優勝という夢を抱いていたことがあるという。「『夢』は『実現不可能』であるべき」だとし、当時ラグビー日本代表のメンタル面の強化に当たったのが、メンタルコーチのデイビッド・ガルブレイスであった。経験豊富で、敏腕のメンタルコーチとして有名であった彼の仕事によって、日本代表の精神力は60%UPしたと後に選手から語られている。

 このことは、一見すると目標設定の技法と矛盾する。しかしそもそも、目標設定と夢には異なる役割があることに触れなくてはならない。目標設定は、目指す目標を達成するためのプロセスを明確にしていく作業である。一方、夢とは「心の底から取り組みたい」と思える魅力的なものであり、日々の取り組みの原動力となるものである。夢を実現するために目標設定を行うと、最も大きな力を発揮できるともいえる。

 夢を持つこと、夢に向かって努力することが「正しい」ことだと言いたいわけでもなければ、皆が「夢を持つべき」だと奨めたいわけでもない。夢を実現しようとするには、相応の困難も伴う。しかし、もし心から取り組みたいと思える「夢」に出会ったときに、実現させる勇気を持って取り組める人間でありたいと、ただ私自身が思っている。



 参考文献
 樋口匡貴(2002).公恥状況および私恥状況における恥の発生メカニズム:恥の下位情緒別の発生プロセスの検討.感情心理学研究,9,112-120.
 デイビッド・ガルブレイス(2021).才能を解き放つ勝つメンタル:ラグビー日本代表コーチが教える「強い心」の作り方.マガジンハウス.東京.