経済活動と情報の重要性
教授 鷲崎早雄(経営情報学、経済工学)
大学では「情報経済論」という講義を受け持っています。どんな内容の講義なのかすぐピンとくる人は少ないかもしれません。シラバスには「ゲームの理論と情報の経済理論を手ほどきする」と書いておきました。講義を開始した当初には非常に大勢の学生諸君が押しかけてきました。私はそんなに人気がある教授ではないのに、なぜなのかと聞いてみたら、多くの学生諸君が「コンピュータゲームのことをやるのではないか」とか、「アップルやマイクロソフトなど情報産業の話をするのではないか」と勘違いしていることがわかりました。残念ながら、「情報経済論」はそのような講義をするのではありません。
経済活動において情報は大変重要な要素です。日常の生活においても、情報を持っている人と持っていない人の間のハンディは大変大きくなっています。格差社会は情報にも及んでいるのです。容易に理解できる話として、試験にどういう問題がでるかという情報を持っている人は、合格する可能性が高くなります。受注競争においては、顧客が欲している事柄に関する情報を持っていなければ、競争相手に負けてしまうでしょう。こうして、持っている情報の格差、情報を得る手段の格差は人々の行動に大きな影響を与えることになるのです。経済活動に絞ってみると、このような情報の格差が人々の取引行動のあり方に変化を与えることになるのです。
情報経済論でいう「情報」は「取引に必要な情報」という意味です。従来の経済学では、市場では「完全情報」を仮定していました。これは市場に参加する人は誰でも同じレベルの情報を持っているということですが、現実には多くの場面で「不完全」です。例えば、お母さんに頼まれてスーパーにスイカを買いに行くとします。売っているスイカが甘いかどうかはスーパーの担当にしかわかりません。あるいは、あるメーカーが今までよりも数段使いやすい電気釜を開発して「これを買えば美味しいご飯がすぐに炊けるよ」と言っても、買う方はそれが本当なのかよくわかりません。サービスの分野でも、例えば私が研究室の片づけに学生アルバイトを雇うことにして頼んだとします。「私は掃除が大好きで、人よりも早くきれいに片付けます」と言われても、私にはそのアルバイト学生が一生懸命働くかどうか、本当はよくわからないのです。
情報が不完全な状態での取引では色々なことが行われています。スーパーのおじさんがスイカの底をポン!と叩いて「これは甘いよ」と言うと、私たちは買う気になります。このように、情報が欠けていると取引を阻害する要因になると同時に、情報が追加されると取引を促進する要因にもなります。こうした情報のギャップを「情報の非対称性の存在」と言い、情報経済論ではその存在が取引に対してどのような影響を及ぼすかを検討し、また、それが取引を阻害する要因をどのように取り除いていったらよいかについて検討します。
情報の非対称性の問題は大きく2つに分けることができます(注1)。1つは隠れた属性の問題です。上の例ではスイカの場合で、まがい物の商品があるかどうかわからない状態です。電気釜の場合もそうです。確認する情報がない状態では最終的にまがいものだけが市場に出回る可能性が生じます。売る方はまがいもので儲かるならそうするかもしれないからです。本来は良い品質の物が市場に出回って欲しいのに、まがいものだけが市場に出回る可能性が生じるので、「逆選択問題」と言われます。情報の性質からいうと、品質や能力など「もの」の属性に関する情報が、さしあたり相手に分からないという状況で起こる話です。もう1つの問題は隠れた行動の問題です。行動情報が相手にわからないという状態で起こります。これは上の例ではアルバイトを頼むケースです。この場合、アルバイト賃金の多寡によって学生アルバイトが私の希望する行動をとらない可能性が生じることになります。この問題を「モラルハザード問題」と言います。アルバイト学生の行動の情報を、私が入手する方法がない場合にそういうことが起きます。モラルハザードという言葉は一般的には経営者の倫理観の欠如のように理解されています。しかし必ずしもそうではなく、合理的な人間が合理的に行った経済行動がモラルハザードになるということを意味しています。それはその人間が悪いのではなく取引制度の欠陥であると言えるのです。
このように情報の経済理論は個人の行動を分析するミクロ経済学の発展したものと理解することができます。情報の経済学は1970年ごろから盛んになり、現在のミクロ経済学理論の重要な構成要素になっています(注2)。情報の経済学の分野では1996年にマーリーズとヴィックリー、2001年にアカロフ、スペンス、スティグリッツがノーベル賞を受けています。またゲームの理論の分野では、1994年にハルサニ、ナッシュ、ゼルテンの3人がノーベル賞を受けています。
注1:細江守紀・村田省三・西原宏「ゲームと情報の経済学」勁草書房
注2:神部伸輔「入門ゲーム理論と情報の経済学」
大学では「情報経済論」という講義を受け持っています。どんな内容の講義なのかすぐピンとくる人は少ないかもしれません。シラバスには「ゲームの理論と情報の経済理論を手ほどきする」と書いておきました。講義を開始した当初には非常に大勢の学生諸君が押しかけてきました。私はそんなに人気がある教授ではないのに、なぜなのかと聞いてみたら、多くの学生諸君が「コンピュータゲームのことをやるのではないか」とか、「アップルやマイクロソフトなど情報産業の話をするのではないか」と勘違いしていることがわかりました。残念ながら、「情報経済論」はそのような講義をするのではありません。
経済活動において情報は大変重要な要素です。日常の生活においても、情報を持っている人と持っていない人の間のハンディは大変大きくなっています。格差社会は情報にも及んでいるのです。容易に理解できる話として、試験にどういう問題がでるかという情報を持っている人は、合格する可能性が高くなります。受注競争においては、顧客が欲している事柄に関する情報を持っていなければ、競争相手に負けてしまうでしょう。こうして、持っている情報の格差、情報を得る手段の格差は人々の行動に大きな影響を与えることになるのです。経済活動に絞ってみると、このような情報の格差が人々の取引行動のあり方に変化を与えることになるのです。
情報経済論でいう「情報」は「取引に必要な情報」という意味です。従来の経済学では、市場では「完全情報」を仮定していました。これは市場に参加する人は誰でも同じレベルの情報を持っているということですが、現実には多くの場面で「不完全」です。例えば、お母さんに頼まれてスーパーにスイカを買いに行くとします。売っているスイカが甘いかどうかはスーパーの担当にしかわかりません。あるいは、あるメーカーが今までよりも数段使いやすい電気釜を開発して「これを買えば美味しいご飯がすぐに炊けるよ」と言っても、買う方はそれが本当なのかよくわかりません。サービスの分野でも、例えば私が研究室の片づけに学生アルバイトを雇うことにして頼んだとします。「私は掃除が大好きで、人よりも早くきれいに片付けます」と言われても、私にはそのアルバイト学生が一生懸命働くかどうか、本当はよくわからないのです。
情報が不完全な状態での取引では色々なことが行われています。スーパーのおじさんがスイカの底をポン!と叩いて「これは甘いよ」と言うと、私たちは買う気になります。このように、情報が欠けていると取引を阻害する要因になると同時に、情報が追加されると取引を促進する要因にもなります。こうした情報のギャップを「情報の非対称性の存在」と言い、情報経済論ではその存在が取引に対してどのような影響を及ぼすかを検討し、また、それが取引を阻害する要因をどのように取り除いていったらよいかについて検討します。
情報の非対称性の問題は大きく2つに分けることができます(注1)。1つは隠れた属性の問題です。上の例ではスイカの場合で、まがい物の商品があるかどうかわからない状態です。電気釜の場合もそうです。確認する情報がない状態では最終的にまがいものだけが市場に出回る可能性が生じます。売る方はまがいもので儲かるならそうするかもしれないからです。本来は良い品質の物が市場に出回って欲しいのに、まがいものだけが市場に出回る可能性が生じるので、「逆選択問題」と言われます。情報の性質からいうと、品質や能力など「もの」の属性に関する情報が、さしあたり相手に分からないという状況で起こる話です。もう1つの問題は隠れた行動の問題です。行動情報が相手にわからないという状態で起こります。これは上の例ではアルバイトを頼むケースです。この場合、アルバイト賃金の多寡によって学生アルバイトが私の希望する行動をとらない可能性が生じることになります。この問題を「モラルハザード問題」と言います。アルバイト学生の行動の情報を、私が入手する方法がない場合にそういうことが起きます。モラルハザードという言葉は一般的には経営者の倫理観の欠如のように理解されています。しかし必ずしもそうではなく、合理的な人間が合理的に行った経済行動がモラルハザードになるということを意味しています。それはその人間が悪いのではなく取引制度の欠陥であると言えるのです。
このように情報の経済理論は個人の行動を分析するミクロ経済学の発展したものと理解することができます。情報の経済学は1970年ごろから盛んになり、現在のミクロ経済学理論の重要な構成要素になっています(注2)。情報の経済学の分野では1996年にマーリーズとヴィックリー、2001年にアカロフ、スペンス、スティグリッツがノーベル賞を受けています。またゲームの理論の分野では、1994年にハルサニ、ナッシュ、ゼルテンの3人がノーベル賞を受けています。
注1:細江守紀・村田省三・西原宏「ゲームと情報の経済学」勁草書房
注2:神部伸輔「入門ゲーム理論と情報の経済学」