止めたくてもやめられない
特任教授 山田 一之 (心理学)
若い時分に勤めていたオフィスで毎晩決まった時間に不思議な音が聞こえてきました。トントントントントン・・・トントントントントン・・・。規則正しく繰り返される音はなかなか止みません。ちょっと耳障りになってきて、仕事の手が止まるようになる頃、それはようやく静かになります。毎晩のことなので、普段はあまり気にならなかったのですが、ある晩いつもの音が聞こえてくると、ちょうど仕事に煮詰まっていた私は無性にイライラしてしまい、いてもたってもいられない気分になりました。そこで、オフィスを出て、その音の出所を探しに行くことにしました。夜遅くのオフィスビルは廊下の照明が落とされていて、実に不気味です。ちょっとドキドキしながら息をひそめてあたりを窺っていると、薄暗がりの中、何件か先のオフィスの前に人影が見えてきました。その人は何やら一心不乱にドアノブを回しています。何度も何度も。きっと施錠したことを確認しているのでしょう。ドンドンドンドンドン・・・ドンドンドンドンドン・・・。まさしく私が毎晩聞いていたリズムです。謎の音の正体がわかった私は、なぜか安心して仕事に戻ることができました。
外出先で、家の鍵をきちんとかけてきたかな?ガスの元栓は閉めてきたかな?など、急に心配になった経験はありませんか?あるいは、大切な用事で出かけるとき、頭に入っていることはわかっていても、待ち合わせ場所や時間を何度もメモで確認したりしませんか?このような感情や行動は、(鍵を閉め忘れると)空き巣に入られてしまうかもしれない、(ガスの元栓を閉めてないと)火事になってしまうかもしれない、(場所や時間を間違えたら)相手に嫌われてしまうかもしれない・・・、そんなちょっとした不安に基づいて起こる現象で、誰にでもある日常的な出来事です。
しかし、私たちに馴染みの深い日常的な出来事であっても、それが度を超すと厄介なことになってきます。何かに気を取られ過ぎると、他のことがおろそかになってしまいますし、身の回りの人達に様々な面で迷惑をかけることになりかねません。そして何より、それは本人にとってとても苦しいことなのです。書き出しの話に戻りますが、ドアの施錠であればせいぜい1~2回まわしてみれば確認できます。それでも、何度も何度も確認してしまう。おそらく近所のオフィスの方も1~2回まわしてみて、施錠できていることはわかっていたと思うのですが、それにもかかわらず何度も何度もドアノブを回さずにはいられなかったのでしょう。このように本人も不合理なことが分かっているにも関わらず、どうしても同じ考えや行為を繰り返してしまうということが病的な状況まで至った場合、これを強迫性障害(obsessive-compulsive disorder: OCD)と呼んでいます*1。
前回の私のコラムで紹介した、床の上のビー玉をせっせとおがくずで埋めようとするマウス(ハツカネズミ)の行動や、空腹なラット(マウスよりも大型のネズミ:Rattus norvegicus)に一定時間ごとに少しずつ餌を与えると、自由に餌を食べてよい条件におかれたラットの3~4倍もの水を飲むという行動などが、ヒトのOCDの動物モデルとして利用されています。行動薬理学的な研究から、どちらの行動も選択的セロトニン再取り込み阻害薬(selective serotonin reuptake inhibitors: SSRI)と呼ばれる薬物によって減少することが明らかにされて来ました*2,3。OCDの原因はまだ明らかにされていませんが、上のようなマウスやラットに見られる過剰な繰り返し行動がSSRIによって減少することから、脳内の神経伝達に使われるセロトニンが減少していることが一因になっているのではないかと考えられています。また、OCDの患者さんでは脳機能画像の研究から、脳内の眼窩前頭皮質・前帯状皮質、あるいは視床や線条体と呼ばれる領域の活動が高まっていることが明らかにされて来ました*4。脳内の物質代謝と脳活動の両面から、OCDの謎が解き明かされつつあります。
1. ウィキペディア(強迫性障害)https://ja.wikipedia.org/wiki/
2. Witkin JM. Animal models of obsessive-compulsive disorder. Curr Protoc Neurosci. 2008 Oct;Chapter 9:Unit 9.30. doi:10.1002/0471142301.ns0930s45.
3. Woods A, Smith C, Szewczak M, Dunn RW, Cornfeldt M, Corbett R. Selective serotonin re-uptake inhibitors decrease schedule-induced polydipsia in rats: a potential model for obsessive compulsive disorder. Psychopharmacology (Berl). 1993;112(2-3):195-8.
4. Seibell PJ, Hollander E. Management of obsessive-compulsive disorder.F1000Prime Rep. 2014 Aug 1;6:68. doi: 10.12703/P6-68.
若い時分に勤めていたオフィスで毎晩決まった時間に不思議な音が聞こえてきました。トントントントントン・・・トントントントントン・・・。規則正しく繰り返される音はなかなか止みません。ちょっと耳障りになってきて、仕事の手が止まるようになる頃、それはようやく静かになります。毎晩のことなので、普段はあまり気にならなかったのですが、ある晩いつもの音が聞こえてくると、ちょうど仕事に煮詰まっていた私は無性にイライラしてしまい、いてもたってもいられない気分になりました。そこで、オフィスを出て、その音の出所を探しに行くことにしました。夜遅くのオフィスビルは廊下の照明が落とされていて、実に不気味です。ちょっとドキドキしながら息をひそめてあたりを窺っていると、薄暗がりの中、何件か先のオフィスの前に人影が見えてきました。その人は何やら一心不乱にドアノブを回しています。何度も何度も。きっと施錠したことを確認しているのでしょう。ドンドンドンドンドン・・・ドンドンドンドンドン・・・。まさしく私が毎晩聞いていたリズムです。謎の音の正体がわかった私は、なぜか安心して仕事に戻ることができました。
外出先で、家の鍵をきちんとかけてきたかな?ガスの元栓は閉めてきたかな?など、急に心配になった経験はありませんか?あるいは、大切な用事で出かけるとき、頭に入っていることはわかっていても、待ち合わせ場所や時間を何度もメモで確認したりしませんか?このような感情や行動は、(鍵を閉め忘れると)空き巣に入られてしまうかもしれない、(ガスの元栓を閉めてないと)火事になってしまうかもしれない、(場所や時間を間違えたら)相手に嫌われてしまうかもしれない・・・、そんなちょっとした不安に基づいて起こる現象で、誰にでもある日常的な出来事です。
しかし、私たちに馴染みの深い日常的な出来事であっても、それが度を超すと厄介なことになってきます。何かに気を取られ過ぎると、他のことがおろそかになってしまいますし、身の回りの人達に様々な面で迷惑をかけることになりかねません。そして何より、それは本人にとってとても苦しいことなのです。書き出しの話に戻りますが、ドアの施錠であればせいぜい1~2回まわしてみれば確認できます。それでも、何度も何度も確認してしまう。おそらく近所のオフィスの方も1~2回まわしてみて、施錠できていることはわかっていたと思うのですが、それにもかかわらず何度も何度もドアノブを回さずにはいられなかったのでしょう。このように本人も不合理なことが分かっているにも関わらず、どうしても同じ考えや行為を繰り返してしまうということが病的な状況まで至った場合、これを強迫性障害(obsessive-compulsive disorder: OCD)と呼んでいます*1。
前回の私のコラムで紹介した、床の上のビー玉をせっせとおがくずで埋めようとするマウス(ハツカネズミ)の行動や、空腹なラット(マウスよりも大型のネズミ:Rattus norvegicus)に一定時間ごとに少しずつ餌を与えると、自由に餌を食べてよい条件におかれたラットの3~4倍もの水を飲むという行動などが、ヒトのOCDの動物モデルとして利用されています。行動薬理学的な研究から、どちらの行動も選択的セロトニン再取り込み阻害薬(selective serotonin reuptake inhibitors: SSRI)と呼ばれる薬物によって減少することが明らかにされて来ました*2,3。OCDの原因はまだ明らかにされていませんが、上のようなマウスやラットに見られる過剰な繰り返し行動がSSRIによって減少することから、脳内の神経伝達に使われるセロトニンが減少していることが一因になっているのではないかと考えられています。また、OCDの患者さんでは脳機能画像の研究から、脳内の眼窩前頭皮質・前帯状皮質、あるいは視床や線条体と呼ばれる領域の活動が高まっていることが明らかにされて来ました*4。脳内の物質代謝と脳活動の両面から、OCDの謎が解き明かされつつあります。
1. ウィキペディア(強迫性障害)https://ja.wikipedia.org/wiki/
2. Witkin JM. Animal models of obsessive-compulsive disorder. Curr Protoc Neurosci. 2008 Oct;Chapter 9:Unit 9.30. doi:10.1002/0471142301.ns0930s45.
3. Woods A, Smith C, Szewczak M, Dunn RW, Cornfeldt M, Corbett R. Selective serotonin re-uptake inhibitors decrease schedule-induced polydipsia in rats: a potential model for obsessive compulsive disorder. Psychopharmacology (Berl). 1993;112(2-3):195-8.
4. Seibell PJ, Hollander E. Management of obsessive-compulsive disorder.F1000Prime Rep. 2014 Aug 1;6:68. doi: 10.12703/P6-68.