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学生スポーツのあり方


准教授 塚本 博之(スポーツ心理、発育発達、バレーボール指導論)

 日本には古くから「勝てば官軍、負ければ賊軍」という格言がある。結局は勝った者が正義であり、負けた者は悪という考え方である。ではスポーツ界ではどうだろう。例えば64チームでトーナメント戦を戦うとしよう。1回戦で半分の32チームが負け、次に16チーム、最終的に勝って終われるチームはたったひとつで、残り63チームはどこかで負けるのである。果たしてこの負けた63チームは悪なのだろうか。ちょっと話が飛躍してしまったが、未だにスポーツ界では「勝利至上主義」が蔓延っている。64チームあれば優勝を目指しているチームはせいぜい10チーム。その他、ベスト4が目標であったり、1回戦突破であったり、大会参加を目標にしているチームもあっていいと思う。「勝利至上主義」であるが故に、そこにハラスメントの入り込む余地が生まれる。
 学生スポーツは、社会人になるためのトレーニングの場にするべきだと考えている。かの発明王エジソンは「1万回も失敗して大変だったね」と、問いかけると、「いや、1万回の失敗する方法を発見したんだ」と答えたそうだ。この多くの失敗の中に何かヒントを見いだして、成功の糧に変換していくことが重要ではないだろうか。そのためには、毎日決まったルーティーンを何も考えずに繰り返し反復練習していては、その変換機能は作用しない。今日の練習を反省し、明日の練習イメージを作り、実践して、それをチェックするという、PDCAサイクルが必要である。毎日練習しているとそれ自身に満足し、スキルアップ出来ていると勘違いしてしまう。そういった考えは、早く指導者が気づかせてあげないと今後の成長は望めない。良いコーチとは、選手またはチームを目標達成のために、選手個々の能力や特徴を見極め、効率よく効果的に正しい方向に導くことができる人のことをいう。また、「監督」は取り締まったり、指図したりする人のことを指し、常に上から目線である。我々指導者は、コーチの語源が「馬車」であるように、「選手やチームを目的地まで導くことが唯一の仕事だ」ということを忘れてはならない。また、その目的地は必ずしも「勝利」だけではない。いや、勝利で無いことの方が多い。勝利は単なる目標でしかなく、勝利の仕方が悪いと選手の成長は見込めない。
 大学で大化けする選手もいる。大化けする選手の特徴は、ひとつのテクニック修得のために何度も試行錯誤し、何が足りないのかを追求するメンタリティとインテリジェンスのある選手である。コーチとしての関わり方が重要であるし、関わらない方が良いことも多々ある。結果的に修得できなかったり、修得してもレギュラー確保にはほど遠いスキルであったりしても、何も問題ない。私は、常日頃から学生には「バレーボールがどんなに上手くても、社会に出たら何の役にも立たない」と、言っている。しかし、上手くなろうと試行錯誤したプロセスは充分社会で通用すると思っている。だから企業がスポーツマンに期待するのだろう。企業が求める人材のキーワードは、「疑問を持つこと」、「自ら工夫すること」、「自ら動くこと」である。10年後に社会人として成功していることが、ほんとう意味での勝利ではないだろうか。
 目先の勝利を追求して、選手を将棋の駒のように扱い、選手の成長を犠牲にすれば、間違いなく勝率は上がるだろう。果たしてそれが選手にとって重要なことだろうか。負けても個人やチームの力が充分発揮された敗北であれば、前向きに次のステップに進めていくことが出来る。
 学生スポーツの指導とは、そうあるべきだと思う。